COMMUNICATION
「褒めて伸ばす」の、
落とし穴
褒める・叱る、ではなく「勇気づける」
――アドラー心理学が教えてくれること
「褒めて伸ばす」——今や、指導や子育ての常識のように言われます。もちろん、褒めることには良い面がたくさんあります。
でも、”人を育てる”という文脈で、褒めることには見落とされがちな落とし穴があります。そして、その先に、アドラー心理学が大切にする「勇気づける」という、まったく別の関わり方があります。
この記事では、「褒める」と「勇気づける」の違い、そして「信用」と「信頼」の違いを、その背景にある人間観まで含めてお話しします。
「褒める」に潜む、2つの落とし穴
褒めることには、大きく2つの落とし穴があります。
① 「これが正解だ」と、思い込ませてしまう
褒めるとは、評価・判断することです。「今のプレー、良かった!」と褒めると、選手は「これが正解なんだ」と受け取ります。すると選手は、“褒められること”を基準に動くようになる。指導者の顔色をうかがい、正解を探すようになるのです。
② 「条件つきの肯定」になってしまう
「良いプレーをしたから褒める」。これは裏を返せば、「良いプレーをしなければ、認めない」というメッセージにもなります。褒めは、いつのまにか”条件つきの肯定”になり、選手は「認められるために」プレーするようになります。
やたらと人を褒める関わりは、
知らず知らずのうちに、相手を”評価でコントロールする”関わりに
なっていることがあるのです。
アドラー心理学は、なぜ「褒める・叱る」を否定するのか
アドラー心理学では、「褒める」も「叱る」も、原則として否定します。アメとムチ、どちらもです。なぜでしょうか。
その根っこには、アドラーの人間観があります。アドラーは、人と人との関係を、こう捉えます。
人と人は、対等である。
役割が違うだけで、そこに”上下”はない。
「褒める」という行為には、「能力のある人が、能力のない人に下す評価」という構造が隠れています。つまり、褒める・叱るは、上下関係(縦の関係)を前提にしているのです。だからアドラーは、これを否定します。
指導者と選手、親と子。役割は違います。でも、人間としては対等——この”横の関係”に立つことが、アドラー心理学の出発点です。アドラーは、こんな厳しい言葉も残しています。「私は生徒の能力・無能力を信じない。あるのは、教師の能力・無能力だけである」。選手が伸びないなら、それは指導者の関わりの問題だ、という意味です。
「勇気づける」という、第三の道
褒めるでも、叱るでもない。アドラーが奨励するのが「勇気づけ」です。
勇気づけとは、横の関係をベースに、相手が困難を乗り越える”活力”を与える関わりのこと。その前提にあるのは、こんな人間観です。
・人は、主体的な存在である
・人は、自分の人生を”今ここ”から作っていける
・人は、変わる力を、もともと持っている
評価して上から動かすのではなく、“あなたは自分で乗り越えられる”と信じて、その力に働きかける。褒めが「結果」に光を当てるのに対し、勇気づけは、その人の挑戦・過程・存在そのものに光を当てます。
「よくやった(評価)」ではなく、「自分で決めて、挑戦したね」「君がいてくれて、助かった(感謝・貢献)」。主語が”私の評価”ではなく、”あなた”と”事実”に変わるのです。
「信用」と「信頼」は、違う
この勇気づけの土台にあるのが、アドラー心理学が明確に区別する「信用」と「信頼」の違いです。
信用は、”条件つき”です。「実績があるから」「結果を出したから信じる」。条件を満たす間だけ、信じる。
一方、信頼は、”無条件”です。条件をいっさい付けず、「たとえ結果が出なくても、まず信じる」。勇気づけは、この無条件の信頼を土台にしています。
「結果を出したら認める」ではなく、「あなたなら大丈夫と、まず信じる」。この無条件の信頼があるからこそ、選手は安心して挑戦できるのです。(ガイドブック第1章の”ピグマリオン効果”も、この信じるまなざしの話でした。)
では、褒めては、いけないのか?
ここまで読むと、「褒めるのは悪なのか」と感じるかもしれません。そうではありません。これらを理解したうえで、意図的に褒める・叱るを使う場面は、現場に確かにあります。
“前提に正解があるもの” には、褒めは有効
たとえば、サッカーの原理原則や戦術。あらかじめ「こうする」という正解や方針が共有されているものについては、それができていたら褒めて構いません。むしろ有効です。なぜなら、そこには”評価すべき基準”が、最初から存在するからです。「今の判断、まさにチームの狙い通り!」——これは、正しく機能します。
ポイントは、”何を褒めているか”です。
「正解のあるプレー・戦術」を褒めるのは、有効。
でも、”その選手の人間性や存在そのもの”を、評価で縛ってはいけない。
——この線引きが、大切です。
使うと決めて、使う
大切なのは、無自覚に評価でコントロールしていないかということ。「今は、戦術の確認として褒める」「ここは、勇気づけで関わる」——自分が今どちらをしているかを、分かって使い分ける。それができれば、褒めることも、立派な道具になります。
最後に ―「伸びしろ」という言葉について
近年、現場でよく使われる言葉に、少し違和感を覚えることがあります。「伸びしろ」です。
選手のできていない部分に対して、「それは伸びしろだね」と前向きに言う。もちろん、素敵な言葉です。でも——本心から、そう思って言っているでしょうか。
ネガティブな面を、無理やり前向きな言葉で覆う。そのために「伸びしろ」を使っているとしたら。それは、言葉だけを飾っているのと同じです。
大切なのは、「言葉」ではなく、
それを言う人の「本心」です。
本心は、言葉以上に表に現れ、相手に伝わってしまうから。
「伸びしろ」と言うなら、心から「この選手は、まだまだ伸びる」と信じていること。その無条件の信頼(本心)があってこそ、言葉は力を持ちます。技術ではなく、あり方の問題なのです。
関わりの根っこに、「信じる」を
褒めるか、勇気づけるか。信用か、信頼か。突き詰めると、すべては「その選手を、無条件に信じているか」という一点に行き着きます。
評価でコントロールするのではなく、対等な横の関係で、その子の力を信じて、勇気づける。それが、選手の主体性と可能性を、いちばん大きく育てていきます。
INNER STANDARD
「勇気づけ」の関わりを、
一緒に
選手の可能性を信じる関わりを、
2つの入口からどうぞ。
サッカー専門メンタルコーチ 瀧澤 博志
INNER STANDARD / Football Mental LABO
